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執事の置き手紙

ninoyaという会社で執事業務にいそしむ毎日です。

失敗をする権利

先日、テレビのスイッチを入れてNHKを見るともなく見ていました。

 

番組名は失念しましたが、それは2045年の日本について紹介するプログラムでした。

 

人工知能の発達した世界。身につけた小型端末からキャラクター映像が投射され、今日の天気やイベントはもちろん、どの道を歩けば恋仲となる異性と出会えるか。学校や会社に出社するべきかまで確率で教えてくれる世界でした。

 

あまりにも正確に未来を予見する機会に主人公は嫌気を差し、ある日突然ウェアラブル端末を電源ごと取り外します。すると、今日どこへ行くべきか。何を食べ、誰と出会うべきかも分からなくなり、やがてその恐怖から端末を再起動させます。

 

いつかのSFのようなディストピアな世界はC級ドラマと揶揄されるかもしれませんが、果たしてどうでしょう。

 

生きることの悩み。

 

これは、選択という行為への悩みと同義なのかもしれません。AとBのメニューがあり、より今日を健やかに生きられる食事がAならば、あえてBを選ぶ必要もありません。考える時間も圧縮できます。

 

あるいはAとBの道があり、Aを行けばビジネスに繋がる新しい出会いが。Bを行けば足元の水たまりを車が跳ねて泥を被る。そんなことが事前に分かってどうしてBを選ぶでしょう。

 

そんな世界が2045年であるならば、その時「自分の頭で考える」という行為は一体何を指すのでしょうか。

 

それでも、一つ残るものがあります。

それは「自分が何をしたいのか」という想いです。

 

好きなことで生きていくというフレーズが昨年末話題を集めました。生きる手段と好きなことが直結する必然性は感じませんが、それでも大方の選択や判断を誤らない世界が訪れるならば、最後は個人が何をしたいのかに帰着します。

 

どれだけデータがあっても「あなたが何をしたいのか?」は教えてくれません。縁も因果も蓋を開ければ確率論であったとして、出会いたいという気持ちがなければ繋がるアクションも起こさないでしょう。

 

行動を起こす自由がある。

行動を起こさない自由もある。

 

だからこそ決める力が大切で、自分の中の好きを主軸に生きることが肝要です。ビッグデータはまだ過去に基づく指針の提供に留まるから、だからこそ自ら決めた結果を自身で100%味わうことができます。それが上手くいっても、ちっとも上手くいかなかったとしても。

 

いつかコンピュータが人間よりも賢くなって、仕事の大半機械の方が高いクオリティで納めてくれる時が来て。「一体、何のためにこの技術と知識を重ねたのだろう」と嘆く瞬間が訪れるのかもしれません。それが自分をごまかして歩んだものならば。

 

だから決める。自分で決める。

正解も失敗も、自分で味わう。五感で咀嚼する。

 

機械も社会も人が作るものだから。それならば人を知らなければいけないし、己が個として立てずに人の何を学べようか。投じられた選択の軌跡を見定めるあまりに見逃し三振だけはしないように。

 

正解が見えない不安は多分にあれど、答えはきっと自分の中に。それは「失敗をする権利」として僕たちが保証されたものだから。

 

幸多い一年を。