執事の置き手紙

ninoyaという会社で執事業務にいそしむ毎日です。

昨年起業した、僕の私的な事実。

おかげさまで今日、僕の会社が1周年を向かえました。

 

こちらは去年書いた赤面記事。

10年消さない所存です。


先月起業した、僕の私的な理由。 - ぼくら社Blog

 

一年、あっという間でした。

折角なので何かを書き残したく。

 

格好いい経営論を述べたいですが、人様に語れる経験を持ち合わせていません。

 

そこで、そうですね。10年前。保育の専門学校を出て2年目くらいでしょうか。

 

あの頃の自分にメッセージをおくりたいと思います。

 

誰だってみんなポジショントーク

みんなが君のことを思って、「かくあるべき」という話をします。それは上司であり、その上の上司であり、同僚であり、両親であり、友人や恋人かもしれません。

 

なまじ自分を思って言うことだからと真剣に聞いては、進むべき道がどこにあるのか分からなくなっているかもしれないですね。

 

そんな時は一つ覚えていて欲しいことがあります。それは、誰もがポジショントークだということ。

 

上司なら自分の仕事がうまくいくために君を思います。社長なら会社をうまく回すために君を思います。

 

駆け込んだ先の転職相談所は、紹介料を得るために君の話を親身に聞きます。両親は君の人生の軌道がぶれないようにと諭します。

 

恋人は君の隣にいられるように。

そっと、けれど強かにあなたを導きます。

 

誰もが自分の人生はかくあるべきだと考えています。だから本気で君を思って、君が描く幸せとは別の道を説きます。

 

 

人は育つし、人は衰える

そうして時に君は思うかもしれません。

 

「僕は騙されていたんだ」と。

 

そうではありません。ただ自分の幸せと、その延長線上にあるあなたの幸せを願っただけです。

 

悲しいかな今の君に10年後の自分を想像できないように、相手もまた10年後のあなたを想像できません。

 

分かるのは、今の君に必要だと思うことを伝えるだけです。

 

あなたは成長します。

 

それは諭してくれた誰をも超えるものかもしれないし、超えたとあなたが勘違いをするだけのものかもしれません。

 

そして人は衰えます。

 

60歳でもイノベーティブに働く人がいれば、30歳にして自身の成長を見限る人もいます。

 

あれほどお世話になったあの人の話が、ちっとも心に響かない。

 

そう悩んでいたとしても、何ら嘆く必要のないものです。あなたも同様に衰えます。

 

物理的充足と精神的充足は異なる

だから君は、金こそがすべてだと思う日が来るかもしれません。

 

そう思う気持ちは良く分かります。一つの真実です。

 

いつか君はお金を持っている人の輪に加わりたくて、仕方がなくなるかもしれません。そのために僅かなお金を散財するかもしれません。

 

そうして気がつきます。

 

なぜ、彼らはより稼ぎ続けなければいけないのだろうか?と。

 

一つに彼らが精神的欲求を満たすためにお金を使うことが挙げられます。

 

良い家に住み、良い服を着て、良い酒を飲み、より良い暮らしをする。振り返ると驚くほどに生活にかかる固定費が上がります。

 

けれど、それは大した問題ではありません。

 

そこで自分の中に満たせない空白があることに気がつくのです。

 

周りにはもっと大きなオフィスを構える人、より優秀な社員を多く抱える人、上場を成功させた人、資産でお金を生み出す人がいます。

 

どうして自分は彼らに追いつけないのだろうか。

 

そう悩んでは、リスクを取って資金を投じます。

 

やがて物理的充足を満たす道具だったお金は、精神的充足を満たすための枷へと変わっていきます。

 

何を捨てて、何を得るのか

彼らの一人は資産を築き、世界を旅したいと考えているかもしれません。

 

それは、今のあなたの夢と同じかもしれません。

 

あなたが今すぐ会社を辞めて旅に出るのと、資産を築いて旅に出るのとどちらが人生においてリスキーでしょうか。どちらもかもしれませんね。

 

世界になんか旅立たない。そう決めたあなたの心には、いつもさざ波が立っているかもしれません。

 

資金を投じて資産を得る。

成功した人は投資家を名乗るでしょう。

 

稼ぎを捨てて時間を得る。

成功した人は旅人と名乗るかもしれません。あるいはニートと嘯くのかもしれません。

 

人生の極みは、そのどちらかにある訳ではありません。

 

週5日残業なく25万円を貰える彼は、誰よりも幸せな夜を過ごしているかもしれません。

 

人生を象る要素の一つが仕事です。

 

それは、あなたが持つ時間と資金を注いだ分、一定の割合にもとづいて返ってくるものです。

 

仮に何も返らずとも、代え難い経験が残ります。

それは誰一人毀損できないものです。

 

持つ人はその価値を知っています。

 

大事なことは一つだけ。

 

あなたは得るために何かを捨てても良いし、何も捨てなくても良いということです。

 

君は誰も助けられない

誰かが君を助けてくれることはありません。

 

同様に君が誰かを助けることもできません。

助けたと驕ってもいけません。

 

ただ、自分の道を生きるだけです。

あなたもあの人も。

 

君のために君が決める 

「自分の人生は自分で決める」

 

そんなこと、君は何度と聞いてきたと思います。

 

君は少なからず選択してきた自負がある。なのに、なぜ同じ言葉を繰り返されるのか?

 

それは、君が心から納得してそこにいるのかを確認したいからです。

 

自分で決めるというのは手元にあるカードから選択肢を選ぶことではありません。

 

己が立つ波に錨を下ろして帆を張ることです。

 

今の場所で作れるものかもしれません。

 

どこかに移らないと作れないものかもしれません。

 

あなたが見て幸せそうに生きている人は、真摯に自分がどこにいて、誰と共にあり、何をしていたら幸せなのか。それらを考えて行動した結果です。

 

それは生きるという真剣な営みです。

 

誰があなたに何を言おうと、己を満たすものを知る。物理的なものなのか、精神的なものなのか。それを得るためには何を捨てなければいけないのか。

 

ガラガラポンかな人生は

悲しいかな人は、いつだって捨てない限りは得られません。

 

あとはガラガラと抽選機を回すだけです。

 

でも、大丈夫。

 

例え白い玉が出ても、銀の玉が出ても、あなたを満足させる物語がそこにはあります。

 

金の玉が出てきたら、誰彼が周りに集まり祝福の声を贈るかもしれません。

 

それもまた結構。

全てはポジショントークです。

 

願わくば、あなたがそんな誰に対しても笑顔であるように。金の玉が剥げてブリキになったその時、あなたの態度すべてが返ってきます。

 

里山に資本はないし、ピケティが誰かを救う訳ではありません。

 

共産主義の灯火は小さく、資本主義はその格差を加速させます。

 

いつの世も、生きるに値する人生がどこかにある訳ではないでしょう。生きるに値する人生をあなたのために作るのです。 

 

僕に未来は予測できません。

 

けれどそんな人が一人、また一人増えているようにも思うのです。

 

それは決められた物語を捨てるように。

 

君にエールを。

日々に感謝を。