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執事の置き手紙

ninoyaという会社で執事業務にいそしむ毎日です。

【書評】ぼくは愛を証明しようと思う。

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ノルウェイの森を手に取ったのは、僕が高校に入ってすぐの頃だろうか。「あんなストーリーはおおよそ文学とは言えない」と語られることも多いこの本は、どうして心に残る一冊だ。性や愛や死生観。10代の頃に誰もが一度は通るであろう思考の檻に、陶酔させてくれた本だったように思う。

 

あれから15年。もっぱら酒以外酔えない日々に、思わぬ本で彼らと出会うことになる。そう。ワタナベであり、永沢であり、直子である。ただ、そこに描かれるストーリーはビスケットの缶ではなかった。「開けてみるまで分からないのが人生」と語るのがノルウェイの森なら、「最後にはいつだってテクノロジーが勝利する」とうたうのが本書である。

 

非モテ(異性にモテない状態)である主人公の”わたなべ”が、恋人である麻衣子の浮気を発見するも、逆に別れを告げられるシーンからストーリーは始まる。傷心の中、六本木のバーへと向かうと、取引先でもある永沢がいとも簡単に美女をはべらすシーンを目撃する。驚愕した彼はその秘密である「恋愛工学」のスキルを学びたいと申し出る。例えば、次のようなものだ。

 

タイムコンストレインメソッド

「女は知らない男に話しかけられると、ここで相手にしたら、ずっとしつこくつきまとわれるんじゃないかって心配するんだよ。その不安を、こっちから取り除いてやることによって、ナンパの成功確率が上がるんだ」 

 

スタティスティカル・アービトラージ戦略

統計学的なアプローチであるスタティスティカル・アービトラージ戦略の素晴らしいところは、これだけたくさんの女に同時にアプローチすれば、少なくともひとりとうまくいく確率は、かなりあるということだ」

 

ACSモデル

「相手の女をディスったほうがいいときもあれば、ほめたほうがいいときもある。無関心さを装ったほうがいいときもあれば、好意をはっきりと示したほうがいいときもある。正しいアクションを選ぶにはどうすればいいと思う?こうした判断を適切に行うためのフレームワークACSモデルだ」

 

これら恋愛工学の技術を身につけたわたなべは、スタティスティカル・アービトラージ戦略に基づき街コンやストリートナンパで女性に声をかけリスト化。S・A・B・Cの順にランキング付けして、LINEでコピペメールを送りつづける。はじめはデートが上手くいかないものの、常に同じコース、同じレストランを利用することで徐々にスキルは上達していく。

 

やがてコツを掴んだわたなべはAランク、Sランクの美女のみをターゲットとするようになり、モデルや取引先の美人社員とも定期的に肉体関係を結べる技術を身につける。そんな彼が、書籍の冒頭で述べるセリフはこうだ。

 

「この東京の街は、僕たちのでっかいソープランドみたいなもんですね」

 

こう書くと「なんてけしからん」と批判が集まるのは自明である。帯にネットで話題とのくだりがあるが、そうした話題のいくつかは明確な批判である。しかし、恋愛工学が持て囃されるのには理由がある。この手法が正論であることだ。

 

恋愛を主語におくと分かりづらいが、企業の営業活動におくと分かりやすい。あなたはある商材を売る営業マンだ。当然、ただじっと座っているだけでは売れない。できるかぎり多くの企業に声をかけ、商材の魅力を説き、こちらへの興味を獲得し、クロージングをかける。恋愛工学はマーケットで利益を獲得する手法をそのまま恋愛という市場に持ち込んだものなのだ。違うのはひとつ、獲得する対象が石器時代におけるマンモスではないということ。

 

本書に出てくる女性たちは一様に記号的である。名前こそあるものの、彼女たちはわたなべにとって射精する対象でしかない。何か面倒なことを言ってきたなら切り捨て、バックアップの子をレギュラーメンバーに加えれば良い。根底に「過去に僕もそうされたし須らく女性も同じものだ」という観念が透ける。

 

ところで、cakesで連載されている次の対談はご存知だろうか。AV監督の二村ヒトシ氏と、著者である藤沢数希氏の対談だ。

cakes.mu

 

本書で多くの読者が感じるであろう疑問は、この連載で二村氏がストレートに藤沢氏に尋ねている。ただ、その議論は平行線である。これは主義主張の違いの一点に尽きる。二村氏の考えは以下の本に明るい。 

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

 

 

本書では「あなたがなぜモテないかというと、それはあなたがキモチワルいからだ」と説き、読者へ徹底的な内省と俯瞰を求める。その先にあるものは過剰な自意識の開放と、自分らしさの発見である。

 

一方で、藤沢氏は永沢の姿を通じてこう説く。「女はお前みたいな男をキモいと思うか、うまく利用して搾取しようとするかのどちらかだ」「恋愛も、勉強や仕事といっしょだ。効率よくやるべきものなんだ。最小限の努力で最大限の成果を得る。生産性が大切だってことだよ。」

 

この議論においては田端氏のツイートが明るい。

 

女性側の視点に立てば、恋愛工学は女性蔑視にもほどがある技術だと言える。一方で恋愛工学の視点に立てば、どこか自分を無碍に扱った女性への憎しみが感じられる。この点でも議論は平行線なのだろう。僕自身ことばを持たない。

 

しかし、僕たちはいつから自分自身の幸せと、社会的な視点で見た己の幸せを分けて考えられなくなったのだろうか。縁あって隣あった人と互いが幸せになれる道もあっただろうに。自分の価値を人に求めず、己の寂しさを他人で埋めず。

 

ストーリー中盤、わたなべは永沢に問いかける。

「最近、うまくいかないんですよ。新規の女はひとりも獲得できませんでした」

 

永沢は尋ねる。

「お前、何を目的に、街にナンパしに行くんだ?」

 

わたなべは答える。

「目的?そんなんセックスさせてくれる女を探しに行くことに決まってるじゃないですか。恋愛工学って、そのためのテクノロジーじゃないんですか?」

 

永沢は答える。

「恋愛工学の目標は、女のハートに火をつけることだ。そして、俺たちに抱かれたいと渇望させること。同じことをやるにしても、発想の違いで、驚くほど結果に違いがでる。誰だって、他人に利用されたいなんて思ってないんだ」

 

やれやれ。

 

ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。