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執事の置き手紙

ninoyaという会社で執事業務にいそしむ毎日です。

もしもあなたの大切な人が、あなたと別れようとしているならば。

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避けようと思っても避けられない別れ。

それは、公私に関わらずある日唐突に訪れます。

 

歳を重ねるほどに、付き合える人に限りがあることを実感する私たち。一方で、これまた何度くりかえしても慣れないのが別れ。

 

極力、望まない別れを避けるため。

私たちは日ごろどのように自己を省みるべきでしょうか。

 

相手ではなく、相手が向ける視線の先を見る

別れの気配を感じたとき必要以上に相手のことを知ろうとして、なお一層に距離を感じたことはないでしょうか。私たちはしばしば知るとはその人自身を見つめることのように捉えます。しかし、実際のところどうでしょう。

 

別離とは文字通りこれから歩もうとする道が異なることを指します。お互いの関係が上手く運んでいるとき、それは必ずしも相手そのものを見ているわけではなく、相手が向かう方向性を見ています。あるいは意識的に見ようとせずとも重なっている状態です。

 

いま、あなたは相手がどこへ向かおうとしているか心から理解していますか。それはあなた自身の向かう道と重なるものでしょうか。

 

自分と相手を同一視しない

関係性が深くなればなるほど、私たちは察してもらうことにコストを支払わなくなります。それはコミュニケーションが上手くいっている一方で、相手は自分と同じように考えているであろうという甘えにもつながります。

 

しかし、その現状を当然のものとして享受しつづければ、それは一方が「私が合わせている」あるいは「私は寄りかかられている」と感じる片道切符でもあります。

 

やがて「あなたとは一緒にいられない」という言葉に帰結するでしょう。

 

相手を操作しない

社会を生きる上で最大のストレスが人間関係であるとは、多くの人が述べる言葉です。それはコミュニケーションの問題とも言えます。

 

外部からの刺激によって自身に変調を来たすのがストレスですが、ここでいう刺激とは大きく2つに分類されます。

 

・関係を深めたくない人からの刺激

・関係を深めたい人と分かり合えないジレンマ

 

前者は問題が他者に起因しますが、後者は往々にして自身に起因します。それは「分かり合えない」からストレスなのか、「分かってもらう努力をしているのに分かってもらえない」ことがストレスなのかという問題です。

 

もし、分かってもらえないことが自身のストレスになっているのであれば、一方的な理解を求められている相手のストレスはいかほどのものでしょう。

 

執着か帰着か

別れの気配を感じたとき、ここに挙げたいずれかに心当たりがあるかもしれません。もし思い当たるようであれば変えるべきは自身です。不毛と感じるようであればその別れはきっと自然なものでしょう。

 

別れは日常の延長線状にあり、回避することがあなたの幸せにつながるとは限りません。共にいることが執着になったとき関係性は淀みへと姿を変えます。

 

相手の歩みを止めることはできません。

それは、あなた自身もその歩みを止められないように。