執事の置き手紙

ninoyaという会社で執事業務にいそしむ毎日です。

大阪ダブル選当確報道と零細企業経営者の雑感

各所の注目を集めた大阪ダブル選ですが、蓋を開けてみれば20時確定という維新の圧勝に終わりましたね。選挙が20時までですから開票即当確です。

 

www3.nhk.or.jp

 

都構想の住民投票否決に続くこの選挙がなぜ維新の圧勝に終わったのか。としまえんの隣で廻る寿司を食べながらつらつらと考えました。

 

 

数年大阪に住んでいましたが、ここまでばくっとした括りでなくとも近からず遠からずな印象はあります。

bylines.news.yahoo.co.jp

 

SNSを見ていると興味深い傾向がありまして。大阪に縁の深い経営者は、割と維新を応援されている方が多いんですね。センシティブな内容ですから大手を振るって応援されている訳ではありませんが。

 

一方で古くからの知人の投稿には、あまり維新(というか橋本さん)を好ましく思っていない様子も散見されます。

 

もともと僕は保育士だったからか意見が割れるシーンを目にすると子どもや子育てになぞらえて考える癖がありまして。思い出した二つのエピソードがあります。

 

ある稼ぎのある方から「私はいつも子どもに他人の役に立つ人間になるようにと育てている。なぜなら、役に立たない人間は誰からも必要とされないからだ」という話を伺いました。なんだか市場原理的、新自由主義な香りがしますね。

 

一方で収入は少ないながらもたくさんの子育てをされている方からは、こんな話を伺ったことがあります。「人間はただ生まれてくるだけで価値がある。だからこうしてみんなが健やかに育ってくれることが嬉しい」と。こちらは保守的、コンサバティブな趣です。

 

で、前回の選挙の話。

 

住民投票が否決に終わったのは、大阪都構想には価値を感じていながらも「果たしてそれが私たち(府民)の生活にとって価値のあるものなのか」と多くの人が確信を得るにいたらなかった結果だと考えます。

 

経営者というのは基本的に「何かを変えない」といけないと思っている人たちでして、よくも悪くもエゴイスティックです。

 

一方で保育士というのは暮らしと直結する仕事ですから「安心・安全」こそが第一条件です。

※もちろん一般論でありそうでないケースも多くあります。

 

それぞれの仕事や生活へのスタンスは両極端ですが、こうした相対する矛盾を内包したものが市民でありパブリックです。

 

そして、どちらに属する人も共通して嫌う行動があります。それが「感情的な行動」です。橋本氏の行動はその最たるものです。

 

ただ、一定数の経営者が彼の行動を煙たがりながらも支持するのには理由があります。それはポイントオブノーリターンを超えた際に取る行動が、自身とそう変わらないことを自覚しているからでしょう。

 

経営者には時として指示が得られないと分かっていても、痛みをともなう決断をしなければいけません。その時に取る行動や表情が橋本氏のそれと似ているならば、彼の行動にも一定の理解はできます。その裏にある大阪ののっぴきならないであろう現状も。

 

そして今回の選挙。

 

私たちは分かっちゃいても是々非々で物事を考えるのが苦手です。議論をするとつい相手が憎たらしく感じたり、内心ナイスアイデアと思っても嫌いな相手の肩は持たなかったり。

 

でも、そんな行動を超えるほどに今回は維新に投票せざるを得なかったのでしょう。

ダブル選 さよなら橋下「維新」 みんなの力で新しい大阪へ/なんばで 山下書記局長が訴え/知事選あす告示

 

自共で「さよなら維新……」というフレーズはいささか感情的に過ぎますね。強すぎる感情論は反発を生みます。

 

前回の選挙で垣間見えたように、今回の選挙で分かったことは「大阪都構想には一定の価値は感じている。ただ、変わることへの大きな不安も感じている」という人が多いことでしょう。こうした考えを矛盾とは呼びません。

 

都構想を実現するならば、維新は変わることへの不安を確信に変えていく作業が必要です。それは橋本氏が得意な仮想敵をつくって支持を煽る方法ではなく、地味な仕事の集積です。野合で票を集める方法も今はちょっと時期尚早でしょうか。

 

さて、どう出るか橋本さんという話ですが、これって大阪に限らず私たちの身の回りでもしばしば見かけるシーンですよね。だからこそ一地方選以上の熱量を持って見守る人が多いのでしょう。(それだけに50%前後の投票率は残念ですが)

 

何を選んだところで万人が納得する最良の道はない訳ですから、大阪を冷めた目で見ず、同様のケースが自身の周りで起きたときにどう議論を進めるべきかを考えたいものです。

 

前回の住民投票後の報道で「民主主義の夜明け」という言葉を使った報道を目にしましたが、それを受けての今回の選挙結果は、実に私たち日本人的な民主主義の現れではないでしょうか。

 

願わくば何事も遅きに失することのないように。